NOMAD メガロボクス2

この記事には物語の結末に関するネタバレが含まれます

NOMAD メガロボクス2

https://anime.dmkt-sp.jp/animestore/ci_pc?workId=24524

前作が非常に面白かったので今回も視聴。

前回はジョーも勇利も悔いのない終わりで満足する形で終わっていた為、話を繋げるには「何かを失わせる」だろうと思っていましたが、やはり失わせる形で始まりました。

失わせるしかないと感じた理由は、ジェームス・ボネット「クリエイティヴ脚本術―神話学・心理学的アプローチによる物語創作のメソッド」という本に記載されていた、ストーリーホイールというのを思い出したからなのですが、これは物語の大枠として、

といった感じのものを用意して、物語の状態を構成するといった概念です。この本にはアーキタイプについても出てくるのですが、それの「ものすごいプリミティブなもの」といった感じで自分は理解しています。

この概念は結構判りやすくて、

「金持ちが更に金持ちになる」話よりも「無一文が金持ちになる」話の方が物語性があり、「金持ちだったけど大失敗して無一文になり、そこから這い上がる」話の方がより魅力的になります。

もちろん「金持ちが更に金持ちになる」話が魅力的ではないわけではなく、その場合は別のホイールを組み合わせればよいわけです。例えば、金持ちになるという過程で、不仲だった人と親友になり、再び道を違えたりしてもよいわけです。

前作のメガロボクスだと「何も持っていなかったジャンクドッグがジョーという名前を得て、生きる場所や目的を得る」といった獲得の話でした。既に物語として頂点を迎えてしまっています。

物語としてその上を目指すという構造を作るのは難しい為、今作は獲得した物を失った状態で始まるしかないわけです。頂点を迎えたジョーの人生は物語が終わったあとも続いていて、その過程で失ってしまったわけです。

ジョーが得た物というのは、前作のエンディングから考えると勝利や名声ではなくチーム番外地であり、その場所はジョーにとっては家だったり帰属する組織や集団、守る場所といった物なわけです。

チーム番外地は南部贋作を中心とした人々の繋がりで、いわば南部贋作のいる場所がチーム番外地であり、建物自体は単なるシンボルでしょう。

チーム番外地という自分の基準値を失った事で、ジョーは自分自身を失った状態となります。

今作は、そんなジョーが自分の基準であるチーム番外地を復活させて、自分自身も取り戻していく話となります。そしてそれを暗示するように、「ハチドリと旅人。」という物語が作中に登場します。

ハチドリをモチーフにしているのは、恐らく作中で登場するチーフの故郷(恐らくメキシコ)からヒントを得ていると思うのですが、ハチドリというのは優れた空間把握能力を持っていて、それによって自分の位置を保持する事が出来るというところから来ているように感じました。

最終話のマックとの対戦は、一見あっさりしている様に感じるのですが、物語の構造として「自分のいる場所に無事に帰る」事が必要ですので、これで良かったように感じます。

怪我をしたり後遺症が残るような描き方をしてしまうと、テーマとずれてしまいますし、物語が終わっても彼らの人生は続いていくというのにも相応しくないでしょう。

ジョーはチーム番外地を修復し、マックは父親として家族の元に戻り、リュウは再びリングに戻る為にリハビリを始めました。

長々と書きましたが、とても良い物語を体験できました。